電気自動車EVは地球を救えるか。

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電気自動車 ポータルサイト 2009〜
「電気自動車は日本と世界の将来を担う産業です。電気自動車を制する者(国)が21世紀の繁栄を約束されるでしょう。
リーマンショック以降、脱地球温暖化を目指す世界はEV戦略をどのように行うのか?」

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歴史/テスラ/自作車/時事/BBS/BYD


1886年、初の電気自動車は、
英国で登場した。

電気自動車は1886年に登場し、5年後にガソリンエンジン車が1891年に英国で登場しました。
1899年に100km/hを突破し期待されていました。
フェルディナント・ポルシェが、1900年のパリ万博に、ハブ(※1)にモーターを搭載したインホイールモーター(※2)の原型とも言える4輪駆動車を出展しました。

(※1 ハブ=自転車では車輪(あるいは円盤状の部品)の中心部。車輪の外周にあるリムから出た全てのスポークが一点に集中する部分。ここから連想して「交通のハブ」「ネットワークハブ」といった用語に転用されている。)
(※インホイールモーター=タイヤホイールの中にモータを組み込む技術。)


1900年、フェルディナント・ポルシェが、25歳の時でパリ万博に電気自動車を出展
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ローナー・ポルシェ

ポルシェはチェコの生まれ(明治初期)でした。
敷物工場の電灯に興味を示し、工場長に仕組みを教わりに行くような人物でした。父親はブリキ職人の親方で、国立工業学校に入学すると昼は父のブリキ工場で働き、夜は学校へ通いました。 

それから自作発電機で、自宅に電灯をつけ、願いをかなえます。 18歳で、電気装置メーカーで働き生涯の伴侶と出会い、工芸博物館の車に遭遇します。 23歳の時に電気自動車の修理にとりかかりましたが、受注先の社長に引き抜かれ、25歳で1900年のパリ万国博覧会に「ローナー・ポルシェ」を出品しグランプリを受賞します。(プラモデルから知るポルシェ



1906年、米国の蒸気自動車が、時速203キロを超え、航続距離の短い電気自動車は姿を消していった

1906年には、米国の蒸気自動車会社が、時速203キロを超える記録を達成し、20世紀はじめには、蒸気自動車と電気自動車が、ガソリンエンジン車と覇権を争っていたのです。
アメリカでも発明王トーマス・エジソンが電気自動車の改良と普及に努めていましたが、広大な国土を持つアメリカでは航続距離の短さが克服し難いネックとなります。
やがて彼の元で内燃機関を研究していたヘンリー・フォードによるフォードT型の成功で自動車市場は完全に内燃機関自動車に支配されたのです。
イギリスでのミルク配達用や屋内用のフォークリフト等、一部を除いて電気自動車は一旦市場から姿を消しました。


1914年のエジソンと電気自動車
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日本でも戦後、ガソリンの入手が困難だった時期に、たま電気自動車等、数社から電気自動車が販売されていました。しかし、朝鮮戦争による鉛の価格の上昇やガソリンの入手性が向上した事により電気自動車は姿を消したのです。

1947年、会社「東京電気自動車」創立、「たま」が開発された

敗戦後、「立川飛行機」がGHQの指令により企業を1947年に解体します。
軍需産業であった立川は6月に「東京電気自動車」として法人化されます。 そして最初の市販形電気自動車を発表し、工場のある地元の地名にちなみ「たま」号と命名したのです。 
「たま」は、最高速度35km/h、航続距離65km、シャーシを部分的に切り欠いてスライド脱着式電池ケースを搭載し、電池交換で充電時間を節約するアイデアを採用しました。
当時の電気自動車の中では群を抜いた性能で注目を集めました。 乗用車形とトラック形があり、搭載バッテリーの開発は、湯浅電池が協力したのです。

東京電気自動車は、のちに「たま電気自動車」となり、「富士精密工業」と合併し、1951年に「プリンス自動車工業」となり、1966年日産自動車と合併し今に至りました。

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たま

1966年〜1971年、日本では第一次オイルショック後、25億円の大型プロジェクト発足

オイルショックによる石油資源依存の懸念や、排気ガスによる局地的大気汚染の解決策として電気自動車が提案されたのです。日本においては通商産業省がリードする電気自動車研究開発プロジェクト(通称:大プロ)が実施され、ホンダを除く国内全メーカーが電気自動車を開発します。 しかし鉛蓄電池を用いた電気自動車などは性能を確立できませんでした。 それで電気自動車は再び姿を消すことになります。



1980年代後半、アメリカ発の「ゼロエミッション規制」

CARB(カリフォルニア大気資源局)のゼロエミッション規制構想というのは、カリフォルニアで販売する自動車メーカーは一定台数、有害物質を一切排出しない自動車を販売しなければならない、という規制でした。

これに対応できるのは電気自動車と考えられました。
大プロ時期に比べ、鉛蓄電池からニッケル水素電池といった技術の進歩もあり、実際にトヨタのRAV4EV、ホンダのEV-PLUS、ゼネラルモーターズのEV1などの限定販売・リースが開始され、電気自動車の本格普及も近いと思われたのです。



1996年ゼネラルモーターズのEV1リース発売開始

GMが1996年にリース発売した電気自動車EV1は、一部の利用者に熱狂的に支持されたましたが、自動車業界や石油会社から訴訟などを受け、州当局は態度を変えてしまい、規制は弱められ、「需要がない」と、車の強制回収を行いました。
税金で充電設備をつくることに反対した消費者団体の背後には、石油業界が潜んでいました。 自動車業界も利益率の低い電気自動車への意欲を失っていきました。 業界寄りのブッシュ政権も、州に対して圧力をかけたのではないかと思われます。

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EV1


1996年、タケオカが北陸電力と共同開発したEVミニカー発売

タケオカ自動車工芸は、1982年武岡栄一が創業した富山県富山市にあるミニカーの自動車製造企業です。

最初は看板製作会社でしたが、FRP成形をしていたため、光岡自動車の依頼でBUBUシャトル50を開発しました。しかし、価格面で光岡自動車と折り合わず独自のミニカーを製造販売し始めたのです。
50CCミニカーの規制強化(普通免許を必要とすることなど)で、他社が次々と撤退しました。

原付免許で乗れる一人乗り電気自動車は856,000円です。(登坂能力15度)
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ミリューR



1997年 北米での販売基準を満たすために生まれた電気自動車トヨタRAVE4EV、最高125キロ

コンパクトSUVのRAV4をベースに、出力50kWのモーターを搭載した電気自動車です。
発売のきっかけは2003(H11年)にカルフォルニアで施行される法律の基準を満たすためでした。 最高速度は125キロで1回の充電で継続走行距離は130〜160kmでした。


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トヨタRAVE4EV

1997年ホンダEVPlusリース販売開始

本田技研工業(株)は、使い易く実用的な電気自動車をめざしたニッケル水素電池搭載の電気自動車「HONDA EVPlus」を1997年9月19日より日本国内でのリース販売を開始すると発表しました。

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ホンダEVPlus


しかしこの時期の電気自動車は、鉛蓄電池からニッケル水素電池となりエネルギー・出力密度に優れてはいましたが、充分な性能(航続距離・充電時間・耐久性・車両価格など)とはいえませんでした。
当時はリチウムイオン電池を採用したのは1997年プレーリージョイEV、1998年ルネッサEV(北米仕様はアルトラEV)、1999年ハイパーミニを発売した日産しかありませんでした。

ハイパーミニはアルミスペースフレームによる超軽量ボディとリチウムイオンバッテリーを採用する意欲作でしたが、車両価格が362万円と高価でしたし、インフラ整備も無く普及しませんでした。


1997年、世界で初めてリチウムイオン電池を搭載した日産プレーリージョイEV発売

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プレーリージョイEV


1997年トヨタがハイブリッドカー プリウスを発売

トヨタとホンダは、内燃機関で走行する自動車の利点に加え、電動機やバッテリーの特性を利用したハイブリッドカー、1997年のプリウスや、1999年のインサイトの発売を行いました。

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1997年プリウス

1999年ホンダがハイブリッドカー インサイトを発売

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1999年のインサイト

自動車メーカーの多くは、電気自動車の欠点であるエネルギー密度の問題を解決するため、充電時間の制約が無い燃料電池(※3)を搭載した燃料電池自動車の開発に傾注し、2002年の燃料電池自動車、ホンダ・FCXや、トヨタ・FCHVのリースを開始しました。
(※3燃料電池=水素と酸素などで電気化学反応をおこし電力を取り出す装置です。 外部から水素などの燃料と酸素を供給し続けることで、継続的に電力を供給することができます。)


1999年、マツダは電気自動車デミオFCEVを発表、最高速度140キロ

米フォード・モーターが、ダイムラー・クライスラーとカナダの燃料電池メーカー、バラード・パワー・システムズとの三社で1998年から共同体を設けて技術開発します。 そして開発した燃料電池を搭載した電気自動車「デミオFCEV」をマツダが東京モーターショーに出展しました。

ジェームズ・ミラー社長は「資金には限りがあり、フォードと連携して研究した方が効率もいい。(マツダは)資金よりも技術的な面で協力する」とフォード依存の姿勢を鮮明にし、「燃料電池の開発は膨大なコストがかかる。ガソリンの時代は当分続くだろうし、現状では売れば売るほど赤字になる。量産効果が生まれるのはまだ先」とのスタンスでした。
当時マツダは、マツダ再建のため最大の株主であるフォードから来た社長のもとで、長期にわたる黒字化を進めていました。

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2004年、370km/hの最速記録を持つエリーカ(日本)開発

慶應義塾大学電気自動車研究室が開発したエリーカは、既に370km/hの最高速度と4.1秒の0-100km/h加速が達成されており、内燃機関車両に比べシンプルな駆動系で高い動力性能が引き出せることを実証したのです。

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慶應大学のエリーカ

1990年代以降の電気自動車の性能の向上(および量産ハイブリッドカーの登場)には、電源であるバッテリの性能向上のほかにも、電気エネルギーの使用効率を高められるインバータによる可変電圧可変周波数制御といった、パワーエレクトロニクスの発達による要素も大きいのです。


2006年に発表されたリチウムイオン二次電池を用いたi-MiEV

i-MiEV(アイ・ミーブ、アイミーブ)は、三菱自動車工業が2006年に発表し、2009年に量産製造を開始した電気自動車。大きな蓄電量を持つリチウムイオン二次電池を用いた世界初の量産車となりました。



バッテリーの進化(2007年〜2009年)
モバイル機器等で使用が当たり前になったリチウムイオン電池ですが、これを採用した電気自動車が発表されるようになりました。
リチウムイオン電池は、ニッケル水素電池より高エネルギー・高出力密度です。 
充電時間についてはメーカーや研究機関で30分以下で70%の充電を可能にする急速充電技術が開発されています。 電池寿命についてはモバイル機器などに使用されているものとは異なり長寿命です。 長寿命である要因は質量あたりのエネルギー密度がモバイル用よりも少なく、設計的に余裕があるためです。 Tesla Motorsの電気自動車では16万キロの電池寿命であると発表しています。
日本では、自家用車の場合20万キロに及ばないうちに廃車になることが多いため交換は必要ないと思われますが、30万キロ以上使うこともある商用車などの用途では途中で交換が必要です。




2007年1月、ジラソーレ(イタリア製)を日本基準に合わせ260万4000円で発売

オートイーブィジャパン(auto-ev-japan)の社長は1983年にサファリラリーで日本人最高位を記録、1990年にスバル・コロニーF1チームの総監督を務め、モータースポーツの経歴を持つ高岡祥郎氏です。
ひまわりは、2人乗り(軽自動車)でゼロから時速40キロメートルまでを約3.1秒で到達し、最高時速は65キロ出せます。
リチウムイオンバッテリー3.6ボルト/150〜200Ahの小型バッテリーユニットを14〜16個搭載し、最長120キロの走行が行えます。充電器は車体に内蔵され、約6時間で家庭用100ボルト電源にて充電可能です。 (ジラソーレ=ひまわり)

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ひまわり



2007年9月、5分間の充電で800キロメートル走行するEEStor社のキャパシタ・バッテリー

米IBM社の元社員らが率いる米EEStor社(テキサス州)は、バッテリーにキャパシタを利用し、電気自動車の走行距離を、5分間の充電で約800キロメートルを可能にしました。

従来のバッテリーは、電気エネルギーを化学エネルギーに変換して蓄え、再び電気エネルギーに変換して使っていました。この変換過程に時間がかかるのが、充電のマイナス点でした。
キャパシタは、エネルギーを電荷として、絶縁された2枚の金属板の間に蓄え、静電気が今にも放電しそうな状態にします。
このキャパシタは、短時間で充電ができ放電も速く、絶縁体にチタン酸バリウムを用い、エネルギー密度を通常のバッテリーの10倍にできます。
この技術は、EEStor社に出資を行なっているカナダのZENN Motor社の電気自動車で使用されます。

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Charlie Sorrel 




2008年6月、水を供給するだけで走る電気自動車発表

会社ジェネパックスが、直接水を供給し発電する「ウォーターエネルギーシステム(Water Energy System)」(略称:WES)を開発しました。水素燃料電池と比較すると水素発生にかかるコストが少なく、貯蔵に関する安全性の問題がないため、広く普及することが期待できます。わずか2Lで7時間の走行が可能です。
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2008年9月、バフェットが中国BYD(自動車・電池メーカー)に240億の投資

アメリカの投資家ウォーレン・バフェット氏が環境事業に踏み出しました。
バフェット氏率いる米投資会社バークシャー・ハザウェイ(BRKA)傘下の米エネルギー会社ミッドアメリカン・エナジー・ホールディングスが、中国の自動車・電池メーカーのBYD(比亜迪、本社:広東省深セン)の株式10%を約2億3100万ドル(約240億円)で取得することを発表したのです。




2008年に販売を始めたテスラはシリコンバレーから誕生した。

米国では、テスラモータース(Tesla Motors)(Google社の共同創始者のSergey Brin氏・Larry Page氏など、有名IT企業家も出資している電気自動車ベンチャー)により、加速約4秒で96km/h、最高速度208km/h以上、航続距離400kmを達成したスポーツカータイプの電気自動車「テスラ・ロードスター」が発表されました。

電池寿命は16万kmです。
さらに2009年3月には「モデルS」が発表されました。すでに1200台以上受注し、現在数百台が路上を走っており、毎週25台のペースで生産されています。 家庭用コンセントから充電可能で、一度の充電にかかる時間はわずか45分で、最高483kmの走行が可能です。 燃費が非常に良く、トヨタのプリウスのおよそ2倍で、370km走っても電気代が500円程度です。


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テスラロードスター


2009年3月世界初・大量生産プラグイン型ハイブリッド車「F3DM」、市場へ

2009年3月からBYDは、世界初の大量生産でのプラグイン型ハイブリッド車「F3DM」の出荷を始めました。
「DM」は2つの動作モードを表す「デュアル・モード」からとり、1回の充電でバッテリー走行100キロ、ガソリンとの混合モードならば580キロの走行が可能です。

14年前に創業したBYDオートは自動車用バッテリー製造で成功した会社です。 2011年には欧米市場へ拡大予定です。




2009年5月、リチウムイオンバッテリーを開発した2人がポルシェ博士賞受賞

フェルディナンド・ポルシェ博士賞で、量産型のハイブリッドカーに応用可能なリチウムイオンバッテリーを開発した2人ミヒャエル・ケラー工学学士(テミック・オートモーティブ・エレクトリック・モーターズ社)とヘルベルト・コーラー博士(ダイムラーAG)が受賞しました。 1976年にフェルディナンド・ポルシェ博士の娘のルイーズ・ピエヒ氏が創設したフェルディナンド・ポルシェ博士賞は、ポルシェAGが支援する自動車研究を対象としています。



2009年7月から家庭用電源で充電可能なプラグイン ステラ 472万円で発売

富士重工業は2009年7月から発売する電気自動車(EV)「プラグイン ステラ 」の価格が472万5000円になると発表しました。同車は次世代車振興のための補助金対象車として138万円が国から購入者へ交付される予定で、交付を申請し認められれば、実質的に約335万円で買えることになります。 また同車は政府のエコカー減税の100%免税の対象で、本来なら支払うべき自動車重量税と取得税合わせて13万4700円が免除されます。

この車は、同社が軽乗用車「 ステラ」をベースに開発したEVで、航続距離は90キロ。充電はリチウムイオン電池を使用し、家庭用100ボルトの交流電源で約8時間、200ボルトで約5時間かかます。 また、専用の急速充電池を使うと、バッテリー容量の80%まで15分で充電できます。 おもに法人向けに、7月下旬から納入が開始され、2009年度だけで約170台を供給します。

富士重工業(スバル)プラグイン ステラ



2009年、日産自動車が「リーフ」を2010年後半に発売すると発表

日産自動車が新型電気自動車(EV)「リーフ」を2010年後半に発売します。
「リーフ」は英語で「葉」を意味し、自然界で大気を浄化するイメージを車名にしました。
走行時の風の抵抗を最大限軽減する形を採用したほか、エンジンを積まないEV独特の、ボンネットを低くする形状に仕上げています。

カルロス・ゴーン社長は「バッテリーの月々の使用料金と電気料金の合計は、ガソリン価格を下回る」とし、買った後のコストがガソリン車より安くなるように設定しています。
新型EVは5人乗りで、1回の充電で160キロメートル走行でき、モーターは横浜工場、バッテリーは座間事業所で生産し、追浜工場(横須賀市)で組み立てます。



日産自動車「リーフ」



2009年7月、国内初の電気自動車タクシー

新潟県柏崎市の柏崎タクシー(吉田一彦社長)は三菱自動車の電気自動車「アイ・ミーブ」をタクシーとして導入しました。7月24日、同社本社で発車式を開きました。
国土交通省によると、電気自動車タクシーの運行は国内初だそうです。
運賃は小型車と同じ初乗り1.5キロ660円で、コンセントより早く充電できる充電器を8月上旬に同社の駐車場に設置する予定です。
 



2009年7月、西日本初の電気自動車タクシー

愛媛県松山市の「富士タクシー」が、西日本初となる電気自動車でのタクシー運行をスタートしました。

車種は三菱自動車の電気自動車「i MiEV(アイミーブ)」です。
i MiEV(アイミーブ)の価格は約459万円で、別途、国の補助金(139万円)を差し引いても通常車両の2倍近くだが、燃費は7分の1程度に抑えられるため、長い目で見ればお得だそうです。
運賃は小型車と同じで、初乗りは550円です。
富士タクシーの加藤忠彦社長(55)は「地球環境への配慮はもちろん、燃料価格に左右されがちな会社の経営を安定させるためにもEVを採り入れたかった」と話しました。




2009年、世界初の量産車i-MiEV(三菱)発売開始

i-MiEVは、2008年2月以降だけでも延べ295,000km、5億件の走行データが収集されました。 これはガソリン車とは比較にならない膨大な量で、このために日本の電力会社7社と提携して40台の試験車を提供しました。 
グローバル・ポジショニング・システムを付けたデータロガーから通信用モデムを介して環境や使用条件が性能にもたらす影響を調査し、改良に生かしました。 また運転者からの意見も取り入れ、残りの走行可能距離を1km単位で知らせる表示機能などを追加しました。

量産や販売を先行することで、ノウハウをいち早く積み上げることを狙った同車が収益に寄与するまでには何年もかかると見込まれています。 損益分岐点は年間販売30,000台に対し、生産計画は2009年度に2,000台、2010年でも5,000台です。 これは電池の生産能力にネックがあるためで、数百億円の投資などを経て同社では2013年度以降の黒字化を目指しています。



三菱自動車i-MiEV(WEB)



2009年9月、「ダイハツミゼット」を60万円で改造。45分走行可能!

甲州市塩山下萩原の電気工事業雨宮隆久さん(58)は中古の自動三輪車を改造し、電気自動車を完成させました。 米国から通信販売で取り寄せたモーターやバッテリーを取り付け、約10カ月かけて製作しました。 


2009年11月 電気自動車で英仏海峡(ユーロ)トンネルを初走破!

ジネッタG50EV電気自動車で走破したドライバーは、二輪と四輪でワールドチャンピオンシップに優勝した唯一の人物として有名なサーティース。
500ccバイクのワールドチャンピオンシップで何度も優勝し、その後1964年フェラーリでF1タイトルも獲得したサーティースだが、トンネル内では制限速度50kmを厳守した。
走破距離は、49.88キロメートル。


2010年 世界初バッテリー交換式EVタクシー実証事業スタート

タクシー1台は、一日平均16〜20時間、走行距離は200〜350kmの長時間運行を行います。このため、自家用車にしてタクシー1台が十数台分のCO2を排出します。ですからタクシーをEV化できれば、効率よくCO2を削減することができるのです。
しかし、現在のバッテリー技術では、走行距離に制限があり、しかも営業時間中に数回、しかも数十分から数時間かけてのバッテリー交換が必要です。これでは、タクシー会社がEV化しCO2を削減できたとしても、営業効率を悪化させ売り上げを落としてしまいます。
それを、ベタープレイスが提唱するバッテリー交換で解決させます。
ベタープレイスのバッテリー交換式電気自動車であれば、数分でフル充電されたバッテリーに交換して、また走り出すことができるので、充電のための営業時間を犠牲にしないでEV化できます。
このプロジェクトは、バッテリー交換のインフラを導入することにより、営業効率を損なわない本格的なタクシーのEV化が、現在のバッテリー技術でも十分に実現可能であることを東京(品川、日本交通タクシー)で立証しようという試みなのです。(4月〜12月まで)




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